鎮西戦国史

戦国時代の九州を舞台にした史実系シナリオ。1570年3月開始。

シナリオ名 鎮西戦国史
作者 村上晴信
ジャンル 戦国時代(日本)
現バージョン 3
最終更新 2006年3月30日
動作環境 SE◎ FE○ 旧×
規模 九州
開始年月 1570年3月
大名家数 45
城数 150
武将数 626

「鎮西戦国史~九州三国志~」

鎌倉時代から戦国時代にかけての九州は、互いに対立・拮抗する三つの勢力が

たえず三すくみの形をとって推移・展開していた。

事の起こりは、鎌倉幕府が諸国に対する守護設置の一環として、豊前・筑前

・肥前の北九州三国の守護に武藤資頼を、豊後・筑後・肥後の中九州三国の守護

に中原親能=大友能直を、そして、薩摩・大隅・日向の南九州三国に島津忠久を

任命したことにあった。

その内、武藤氏は鎮西守護となり、合わせて大宰少弐に任じられたことから少弐氏

を称し、島津・大友・少弐の三すくみを形づくる素地ができあがったのであった。

南北朝の内乱期には、探題方(九州探題一色範氏=尊氏方)と宮方(菊池・阿蘇氏)

および佐殿方(足利直冬方)に分裂して、複雑な抗争を展開。

その後、探題今川了俊の巧妙な戦略・戦術によって、一時小康状態を保ったが、

了俊が京都に帰還したのちは、ふたたび動揺しはじめ、

これより九州はいわゆる群雄割拠の状態となった。

文字通り、島津・大友・少弐の対立時代となったのである。

 この三すくみの体制に、北九州の計略をめぐって、一時、中国の大内氏が加わった

が、その後大内氏は陶氏に、陶氏は毛利氏に滅ぼされてしまう。

下剋上の風潮は九州にも現われ始めた。

肥前においては、少弐氏麾下の龍造寺氏が取って代わって戦国大名として台頭。

こうして、九州は、戦国大名龍造寺・大友・島津三氏の鼎立時代を迎えたのである。

(OPより)

★;島津氏 竜造寺氏 毛利氏 ;着実に居城を増やせるだけの大勢力。

★★;大友氏

 大勢力だが博多と立花城を死守しつつ、毛利を増援軍到着前に撃破できるかが鍵。     

★★★:相良氏 菊池氏 阿蘇氏 有馬氏 伊東氏 

     ;強豪勢力の狭間ででいかに勢力を広げていけるか。

★★★★;宇都宮氏 豊前杉氏 

      ;大友・毛利に挟まれた状況の中で従属と臣従をいかにうまく使いこなせるかが鍵。

★★★★★:その他の勢力

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  • 最終更新: 2020/08/05 22:31
  • by 蛛賢