二重公儀の統合_豊徳体制の崩壊

豊徳二重公儀の統合

関ヶ原の戦い後の豊臣家と徳川家を巡る戦いを描いたシナリオ。

シナリオ名 豊徳二重公儀の統合
作者 隅立庄屋
ジャンル 江戸時代
現バージョン 4-D
最終更新 2010年12月13日
動作環境 SE◎ FE○ 旧×
規模 全国
開始年月 1603年 4月
家数 350
拠点数 1352
武将数 3735

関ヶ原の勝利によって徳川家の軍事的覇権は確立された。

しかし家康が作り上げた地方分権政治(幕藩体制)の頂点に

徳川家が存在し続けるためには、

八歳にして既に従二位にある秀頼が関白となって

中央集権政治を復活させる事態を

なんとしても防がなければならなくなった。

慶長8年(1603年)二月、家康が源氏長者及び征夷大将軍に就任

同時に、 秀頼が内大臣に就任

よって豊臣家大老筆頭としての徳川家は消滅し、

天皇の下に

関白型豊臣氏羽柴家公儀 (豊臣氏長者。藤原氏と同格)

及び

徳川将軍家公儀 (将軍職を保持すると同時に源氏長者)

の、武家に対する二重公儀体制が開始された。

この後 源氏長者でもある徳川将軍家は、

公儀の事実上の統一の方法を、模索していくこととなる。

それが「豊臣氏長者の権威の消滅」を指すのか、

「豊臣氏宗家の滅亡」を指すのかはわからない。

あるいは家康本人は、秀頼との合議政治を目指しているのかもしれない。

関ヶ原の合戦時に活躍したのは主に豊臣恩顧の大名であり、

合戦直後の大老・家康は彼らに西国を中心に大領を有させた。

そしてさらには、徳川家や羽柴家同様に

戦国時代を生き抜いてきた大名達がその周りにいる。

今戦えば大乱となりかねないだろう。

歴史はどこへむかっていくのだろうか?

(OPより)

1、全国制圧勝利

 条件A、京都御所を保持している天皇家と、敵対していない。

 条件B、大坂内部や福知山内部・「意思表示」、を除く、マップ内すべてを、       当家又は傘下の家が領有している。

   AとBの条件をクリアすると、完全勝利となります。

2、公儀統一勝利

 条件C、当家が独立している。

 条件D、徳川家が滅亡、あるいは徳川家が豊臣氏に従属・臣従している。

 条件E、京都二条・京都伏見を豊臣氏が占有している。

 条件F、臣従込みの石高が、他の大名家よりも高い。

                C~Fの全ての条件をクリアしていると、勝利となります。
 S: 
 A: 
 B:  
 C:  
 D:  
 E:  
 F:  

  • 二重公儀の統合_豊徳体制の崩壊.txt
  • 最終更新: 2020/08/05 22:22
  • by 蛛賢