慶長戦史外伝_武田再興

慶長戦史外伝-武田再興-

◇玉王◇氏慶長戦史 ‐落日の日輪‐の改造シナリオ。

天正10年(1582年)3月11日
武田勝頼、武田信勝親子は、天目山の山路を僅かな供回りと共に歩を進めていた。
つき従うは、土屋惣蔵、秋山紀伊守、秋山民部丞、秋山源蔵、小原丹後守、小原下総守、阿部加賀守、金丸右衛門尉、温井常陸守、小宮山内膳正、跡部大炊介、大熊備前守河村下野守、小山田平左衛門、小山田弥助、多田久蔵、多田角介……、そして勝頼の妻子、女官ら総勢50数余名。
木曽義昌の離反に始まった、俗にいう「武田崩れ」により、新羅三郎義光より数えて20代、甲斐源氏の嫡流甲斐武田家は、攻め手の総大将織田信長ですら予測できないほどの急速さで瓦解し、ここに滅亡した。
甲斐武田家の歴史は、苦難と絶望で彩られていた。武田家が滅亡の憂き目に遭うのさえ、これが初めての事ではなかった。
武田勝頼から数えて7代前の武田家当主武田信満も、上杉禅秀の乱で敗北し、幕府の追討を受け、木賊山、すなわち、同じここ天目山において自害し、守護大名としての武田宗家は一旦滅亡した。しかし、信満の子息武田信重が約20年後に甲斐に守護として復帰、甲斐武田家の再興を果たした。甲斐武田家は幾たびも危機を迎えたが、その度に逆境を跳ね除け甦ってきたのだ。
そして今、慶長4年(1599年)6月、太閤秀吉の死により、俄かに戦雲が全国に垂れ込め始めたこのとき、天目山より奇跡的に追討の手を逃れ脱出し、約20年に及ぶ雌伏・苦渋の時を強いられた、甲斐武田家の正統なる後継者武田信勝がついに武力による武田家再興に向けて旗揚げを決意した。
武田信勝の手元にあるのは、武田家旧臣真田昌幸より献上されたその所領北信濃上田城を中心とした3万8000石の所領と兵2000ほど。
天下第一の実力を持つ徳川家に対抗して武力による御家再興を図るには、あまりにささやかすぎる戦力だった。
しかし、武田信勝の元には、幾万の大軍勢にも劣らない、天目山以来の忠臣たちがいた。
どんな逆境にあっても決して裏切ることのない、鉄の結束・忠誠を誓う一騎当千の兵達が。
目指すは甲斐奪還。
後世「慶長の大乱」と呼ばれる戦乱の時代が、今、幕を上げる。
                                    (OPより引用)

「武田家」でのみプレイ可能。人質システム、譜代・御一門大名システムなど、特有のシステムを採用している。

序盤

1600年6月まで徳川家は軍事行動をとらないため、ひたすら切り崩す。鉄砲の効果が非常に高く、守備兵を全て消し去ることも可能(特に易しいでプレイするとかなり買える)。武田家は智謀が高い武将(ゲーム上では士分)が非常に多く、奇襲が決まることもしばしば。智謀3以下の武将を鉄砲担当にしよう。箕輪城あたりまでは進軍したい。

1600年6月になると徳川家が行動を始めるので、東軍の大名に従属しながら生き長らえていくことになる。ただ状況次第にもよるが、この頃になると国力も高くなっており、自国より石高の高い東軍大名が加賀前田・伊達・佐竹くらいしか残っていないことも多い。森家の待城・浅野家の甲府城を落とすとイベントが発生する。但し「武蔵国の城を占領・直轄石高1位・臣従含石高2位」の条件を満たすと、加賀前田・福島と敵対することになるので注意が必要。

加賀前田家の臣従含石高(難易度標準の場合は直轄石高)を越えると必然的に徳川家との全面戦争になる。不退却ハメと鉄砲を使用しつつ崩していこう。

*慶長戦史 ‐落日の日輪‐

以下、加筆求む

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  • 最終更新: 2024/06/16 16:24
  • by Akane Sakurai