第二次世界大戦史(仮)・大日本帝国 攻略
大日本帝国
真珠湾奇襲
1941年12月、真珠湾奇襲成功により我が大日本帝国は太平洋戦域における優位性を獲得した。しかしながら物量において圧倒的優勢に立つ米国との戦いを鑑みて、兵力を極力一点に集中して運用する必要性を痛感させられ、これを踏まえて我が帝国は以下に詳述する作戦運用により米国に対抗し血路を開かんとの決意を新たにするのである。すなわち、
MI作戦の実施。ミッドウェイ島を制圧することにより米太平洋艦隊を洋上に釘付けとして、また米本土進攻の準備段階として彼の地の咽喉元に刃の切っ先を突きつけるが如きハワイ島制圧の足懸かりと為すこと。
ウ号作戦の実施。中国大陸の逸早い攻略により大陸に貼り付けた陸軍の大兵を米国との決戦に運用したいところであるが、その為には米国と同盟関係にある大英帝国による増援軍の通行せる「援蒋ルート」の攻略が必要不可欠であること。
あ号作戦。史実と違いMI・ウ号両作戦完遂を企図して極力、鉄砲(該シナリオでは航空機と読み返ると好いか、否か?)を装備せる大兵の運用こそ、元々(観戦モードでは)不可能な米国との戦端に僅かであっても勝機を齎す由と心得ている。従って南方戦線は、その兵站が瓦解しないギリギリの兵力を持って上記両作戦完遂まで牽制を続ける所存である。
MI作戦
南鳥島に配置された兵力は総騎馬兵(戦車?)1900、足軽兵(歩兵)5400、鉄砲(航空機)3600である。他方、ミッドウェイには名将スプルーアンス(智力10)が控えている。史実同様、奇襲攻撃により作戦失敗すれば忽ち戦線瓦解の虞あり。彼の将に対抗し得る人材、岡田啓介(智力7)を東京から南鳥島に送り、南鳥島兵力は漸次東進、ウェーキ・ミッドウェイ両島攻略作戦着手。これらと並行して、
山本五十六部隊(呉)を南進させ、グアム奪取。
マーシャル・トラック・パラオ要塞を増強。
満洲帝国所属兵員を熱河まで南進。中国大陸戦線において兵員不足に陥った時、増員として運用可能ならしめる為である。
大陸戦線。重慶を現段階においては「牽制」しつつ、鄭州攻囲。
MO作戦の(史実より)先延ばし。トラック島配属の井上成美(航空機500)・マーシャル島の山口多聞(航空機2000)にて、それぞれ牽制。
あ号作戦(先延ばし)。高雄
「マレーの虎」山下奉文(戦車300、歩兵4000、航空機100)コタバルにて大英帝国軍と睨み合い。
1942年6月、ミッドウェイ海戦に勝利した我が帝国は、ミ島に航空戦力3600を留め置き、同戦力、マーシャル島(航空機2000)、トラック
ウ号作戦
史実では南方戦線に充てた兵員を大陸戦線に運用した為、中国大陸制圧は予想外の速さで完遂した。熱河から更に南進する満洲帝国軍と歩調を合わせ、大陸戦線を率いるは板垣征四郎(智力・野戦統率7)、宮崎繁三郎(武力・智力・野戦統率9)登場後はバトンタッチ、劉少奇(智力9)の奇襲を警戒しつつ重慶陥落後は一気にインパールまで南下。
1944年4月、ウ号作戦。インパール制圧時の兵力は戦車1990・歩兵19310・航空機4600。並行して高雄の兵力でマニラを攻略して、ジリジリと南方の大英帝国領攻囲網の輪を縮める。だが、依然としてサイゴン・コタバル辺りの戦線は泥沼化。要塞化を進め、山下部隊によるクアラルンプール・シンガポール・ブルネイ攻囲・撤退の繰り返しで戦線を維持。
この時期から、米国本土よりの物量大反抗開始。ミ島の防衛に不安が生じる。生産済みの航空機1030を配備した木村昌福(武力8・智力・野戦統一6、歩兵3000)を幌筵に送り、アッツ・ミ両島を監視。
あ号作戦
MO・FS作戦
比島制圧兵力(主に高雄から南進の航空兵力・山下陸戦部隊の混成兵力)は、済し崩し的にオーストラリア揚陸作戦を開始。並行して山本部隊を南進、ラバウル攻囲。奪取後は、防衛兵力とポートモレスビー制圧兵力に分割、タウンズヴィルを攻略した比島制圧兵力と共同で奪取。続いてブリスベン・ウェリントン制圧により、
1948年2月、敵オーストラリア残存兵力と南太平洋兵力の分断に成功する。史実におけるMO・FS両作戦である(FS作戦構想はフィジー
ハワイ大海戦・亜米利加本土上陸作戦
桑港撃滅
北大西洋海戦
木村部隊(シアトル→カナダ進攻。カナダ、アメリカから日本に主家鞍替え。臣従させる)
南雲部隊(西海岸制圧)
南東太平洋部隊(グアンタナモ→ワシントン→ニューヨーク。東海岸制圧。イギリス、アメリカから独立して日本と不戦同盟)
南雲・南東太平洋部隊で米本土攻囲網。
1953年11月、亜米利加本土制圧。
南雲・南東太平洋部隊、合流して北大西洋制圧に向かう。兵力約200000。
大君主作戦
1956年4月、大君主作戦。フランス制圧。アメリカ領はマダガスカル島のみとなった。
対独包囲網
1958年2月、世界地図は大きく二色で色分けされることとなった。大日本帝国傘下の諸国(石高779万9797石)と、独逸第三帝国傘下の国々(石高327万5751石)である。思えば、かつて我が帝国が強大な敵アメリカと戦っている間、彼方の地では独逸が共通の敵と戦っていたのだった。いま、干戈を交えなければならないのは運命の皮肉か。