Thirty years war ~ 三十年戦争

プロテスタントの反乱をきっかけに勃発した「三十年戦争」(1618~1648年)を舞台としたシナリオ。

シナリオ名 Thirty years war ~ 三十年戦争
作者 inagakimember
ジャンル 中世(欧州)
現バージョン 1.00a
最終更新 2005年6月9日
動作環境 SE◎ FE○ 旧×
規模 ヨーロッパ
開始年月 1619年9月
勢力数 40
城数 250
将軍数 2140

 1618年5月23日プラハの王宮に1000人近いプロテスタント派の貴族や僧侶等が集まっていた。

これ等の人々はそのまま王宮に雪崩れ込み皇帝の代官を城外に投げ捨てた。

これをプラハ王宮窓外放擲事件と言う。

 この事件は皇帝ルドルフがボヘミアの信教の自由を認めたことにより、ボヘミアのプロテスタントが王領地にプロテスタントの教会を作ったことが発端となっていた。

プロテスタントが教会を作った時には既に皇帝はルドルフの弟のマティアス帝に代わっており、彼はこの教会を閉鎖した。

 しかしこの事件の直後に皇帝マティアスは死去、従兄弟のフェルディナント2世が即位することとなる。フェルディナント2世は頑強なカトリックでプロテスタント諸派を一切認めようとせず、ボヘミアへ軍を派兵し、正式な皇帝即位の儀式のためフランクフルト市に向かった。

 一方プラハ王宮窓外放擲事件の後クーデターに成功したボヘミア側はオーストリア貴族のトゥルン伯爵を司令官とし各地に援軍を求めた。

 これに答えサヴォイとプファルツは、傭兵隊長のマンスフェルトをボヘミアに派遣、さらにジーベンビュルゲンのベートレンカボールがフェルディナント2世がフランクフルトへ行っている隙をつき、ハンガリーへ侵攻、ボヘミア反乱軍と手を結ぶ。

 ハプスブルク家はフェルディナント1世以来ボヘミア王位を保有していたが、勢いに乗る反乱軍はフェルディナント2世のボヘミア王位を廃止、新教連盟盟主プファルツ選帝侯のフリードリッヒ5世を新たな王として迎えいれた。

 1619年8月28日フランクフルト市で正式に皇帝に即位したフェルディナント2世はボヘミアを討伐するために皇帝軍とバイエルン公が指導する旧教連盟軍をボヘミアへ派遣した。

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  • 最終更新: 2020/07/30 21:51
  • by 蛛賢